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ギターとともに歩む

1947年に岐阜市で生まれる。

岐阜市といっても、まわりは田んぼや畑にかこまれた本荘という田舎である。 家の前に小川が流れていて(長良川から灌漑用に引いた水路)時々立派な鮎が何匹か泳いでいたのを覚えている。

今の東京では考えられないが、六月ごろだろうか、裏の田んぼで夜になると蛙の大合唱が始まり、 また、秋になると虫の音が聴こえたのが、子供心にもしっかりと記憶に残っている。

岐阜は心のふるさとである。

photo : the childhood

●母と一緒の写真は四才のときであるが戦争は六年前におわっているのに
なぜか防空頭巾のようなものを被っている。

 


 

九歳の時より父にギターを習い始める。
写真の父は笑っているが、僕がうまく弾けないと父の顔がだんだんと恐くなって思えてきて、
最後には僕が泣いてしまうということがよくあった。
父は会社から帰ってきて、夜、必ず一時間は僕にギターを教えた。
あの時止めていたら今の自分は無かった。

photo : playing the guitar with my father

 


 

名古屋駅にて、セゴビアの横で恥ずかしそうにしている自分、その右が父、左端が母。

photo : with my family at Nagoya station

 


 

小学校を卒業して中学から家族と一緒に東京に住む。
東京では父の大学時代からの友人、小原安正先生に習い始める。 時代劇の剣豪のような風貌の先生はまたもや恐い印象だが、 スペインに留学するまでの四年間ギターのテクニックをしっかりと教えこまれる。

1963年イエペス先生の歓迎パーティで演奏した後、 スペインに来たら教えてあげると確約をいただく。 そして渡欧記念リサイタルを開く。 この頃になると色々な曲が弾けるようになり、ギターを弾くのが楽しくなる。

photo : Mr.Yasumasa Ohara

●師事を受けた小原安正先生

 


 

1964年スペインに発つ。

希望と不安をいだいて16才の時一人で羽田空港から家族、友達の見送りを受けて飛び立つ。
当時は外貨の持ち出し制限が有り、たしか500ドルまでだったように思う。

また、ヨーロッパと日本の往復運賃が当時の値段で60万という時代であったので、 見送る方も見送られる方も、もう会えないかもしれないという切実な気持ちになった。

photo : the concert poster designed by Jyuzo Itami

●伊丹十三のデザインによる渡欧記念リサイタルのポスター

 


 

日本から北回りで24時間近くかかって、マドリッドに着く。
飛行場には小原先生が紹介してくださったブエレンさん一家が迎えに来ていた。とても感じの良い家族で一安心。 次の日の朝、窓を開けると、八月というのに高原のようなさわやかな風が入って来て気分爽快。 その年の夏、東京は毎日うだるような暑さだった。

photo : at the corner of Madrid

マドリッドの街中で

 


 

photo : I was 16 years old, matador costume in Madrid.

16歳のころ、マドリッドでマタドールの衣装を着ての一枚

 


 

次の週からスペイン北部のサンティアゴ・デ・コンポステラでの音楽講習会に出席する。 この年はセゴビアは来られなくなり代わりに、ホセ・トマスが教える。 年末にイエペス先生にお会いすることが出来、演奏旅行で居ない時以外は教えて下さるとのこと。 同じ頃ギター製作家のイグナシオ・フレタから連絡が入り、 三年前から頼んであった楽器が出来たとのこと、バルセロナまで受け取りに行く。

photo : at the studio of Ignacio Fleta

1964年 イグナシオ・フレタの工房にて 左端フレタ氏・右側息子

 


 

また、同じ時期に、コンポステラに出席した学生の集まりがマドリッドである。 行ってみると、セゴビアが居ておどろく。 僕がソルの「魔笛」を弾き終えると、ギターをかかえテーマの部分を世にも美しい音でかろやかに弾き始め、 「大きな音で弾けばよいというものではないよ」とアドバイスして下さる。

1965年のひと夏、スペインの最南端プンタ・ウンブリーアという半島で、イエペス先生にレッスンを受ける。 また、ちょうど同じ時期日本からいらしていた中川先生と一緒に行動を共にする。 先生の家は海の前に面しており、レッスンは海が見えるテラスで受ける。 レッスンが終わると奥様がいれて下さる濃いコーヒーを飲みながら、スペインの強いタバコを美味しそうにくゆらせていた先生が印象的だった。 先生はいつもレッスンの時まで子供が遊んでいるように楽しそうに、いろいろな弾き方を教えて下さった。 ギターのさまざまな可能性を教えて下さった。
また、この時期イエペス先生が演奏旅行でいない時、ピアニストの岩崎洋先生に演奏のさまざまな表現法を教わり、本当に良いアドバイスをたくさんいただいた。

 


 

1967年イエペス先生の紹介でイタリアのジュネス・ミュージカル主催で、18日間で19回の演奏会を行う。

初日がマチネーでミケランジェリの生まれたブレーシャという町、夜がコモでの演奏会、 それから毎日列車で移動しては演奏会という生活。今の年だったらとても出来ないと思う。

イタリアでの演奏旅行ははじめてだったが、イタリアの聴衆は気に入った時は拍手が止やないが、 気に入らない時には拍手しない。本当に解りやすくて良い。

photo : concert tour in Italia

●イタリア演奏旅行の舞台写真

photo : playing at Teatro Bergamo in Italia, 1968.

●1968年イタリア演奏旅行 ~テアトロ・ベルガモでの舞台にて

 


 

photo : with Mr.Narciso Yepes in Gifu

岐阜での帰国記念公演に来ていただいたイエペス氏と

 


 

1968年日本に帰国し、69年にデビューリサイタルを行う。

自分で言うのも変だけど、テクニック的にはかなりハイレベルだったと思うが、 内容的には物足りなかった。その後、スランプに落ち入る。 ギターを弾くのをしばらく止め、本を読んだり、他のジャンルの音楽を聴いたり、友人と酒を飲んだり、とにかく楽しむようにした。 その後ギターに戻ったとき、旋律に酔うことが出来るようになった。

レコードは、1972年に初めて東芝EMIより「テデスコ・ポンセを弾く」を出してから今までにLD・CDを何十枚と出していただいている。

photo : debut recital at Toranomon Hall, 1969

●1969年デビューリサイタル(虎ノ門ホール)

photo : kikoku recital

●ステージでの一枚と先生方に囲まれての一枚
(左から岩崎洋氏、荘村清志、小原安正氏、両親)

 


 

1974年のリサイタルの為に、武満徹さんにギター曲をお願いした。 当時、武満さんは「ノヴェンバー・ステップス」によって、世界で脚光を浴び、雲の上の存在だった。 そこに無名の一ギタリストがたずねて行って、今思ってもよく曲を書いて下さったものだ。 「フォリオス」という最後にバッハの「マタイ受難曲」のコラールが出てくるすばらしい曲だ。 後から聞いた話では、武満さんは作曲するのを迷っていたらしいが、 奥さんの浅香さんが、「若い音楽家の為に書いてあげなさいよ」と後押しして下さったので、この曲が生まれたのだ。 1974年の4月から一年間NHK教育テレビで「ギターを弾こう」という、お稽古番組を担当する。このお陰で演奏の依頼が増える。

photo : with Mr.Tohru Takemitsu

武満徹さんと

 


 

デビュー20周年は、1990年にサントリー大ホールで行う。

この時は三善晃先生に篠笛とギターのための「花骨牌」(はなかるた)という曲を書いていただく。 あの大ホールで、舞台に出て、お辞儀をしたらさすがに足がふるえた。 でも、引き始めたら落ち着いた。

1994年に25周年のリサイタルを行なう。 この一年前に武満さんに曲をお願いしたら、とても忙しくて無理と断られる。 10分後に武満さんから電話が入り、「書けるかもしれないが、間に合わない時の為、チラシに書かないでほしい」とのこと。 3ヶ月後に「エキノクス」というタイトルの曲が送られてくる。

中に「この曲は、荘村からギターについて色々知ることが出来たそのお礼に25周年の贈り物として書いた」とあり、 感激のあまり言葉を失った。考えてみると、武満さんには本当に真心をいただいた。感謝のみである。

photo : a fax from Mr.Tohru Takemitsu : click to enlarge

●「エキノクス」に寄せて- ファクスでの武満徹氏からのメッセージ

 


 

photo : a postcard from Mr.Takemitsu : the face : click to enlargephoto : a postcard from Mr.Takemitsu : the reverse

武満徹氏が病床で「森のなかで」を構想しているときにいただいたカード

 


 

1999年には30周年のリサイタルを行なう。
この時は、ベルギーのフルーティスト、マルク・グローウェルスをゲストに、ピアソラの曲を中心に演奏する。 マルクは本当に自由な演奏家でいわゆる型にはまっていないので、一緒に演奏していても実に楽しい。 彼から学んだことは多い。

photo : Concert tour with Mr.Marc Grauwels

●1999年 マルク・グローウェルス氏との演奏旅行で

photo : With Mr.Marc Grauwels

●フルート奏者のマルク・グローウェルス氏と

 


 

photo : recent portrait

40代の頃は、技術の低下が心配だったが、 その後いろいろ研究して最近また指が軽くまわるようになった。 表現力にもいっそう自信がもてるようになり、これから花が咲きはじめる予感がする。 これからの自分が楽しみである。